「無名スカウト戦士」の本当の話 村山有

画像


無名スカウト戦士の話をスカウトにするとき、困ったことはありませんか?
日本連盟の本にも正しい話が掲載されていません。
戦後の時代背景やBSA出身者である村山有氏の功績であったことが原因でへんな話にしてしまったように思います。
「善行は言いふらすものでない」との謙虚な村山有氏の想いもあったと思います。
しかし、それから50年以上経過する現在、正確な話を後世のスカウトに伝えることは大切です。
私自身、当時の戦況下において南方の島で敵兵を助けることはなかったと思います。
ですから「無名スカウト戦士」の像をみると違和感があるのかもしれません。
スカウトサインを見て・・には無理がありますし、手紙を置いて去っていくにも不自然です。
無理に美談にしようとしたのが、間違いであったのではないでしょうか。
あのレリーフをみて、スカウティングを誤解する市民も多いです。
村山有氏の戦後の日本連盟の復興は多大な功績があるのですが、BSA出身であることもあって、あまり歴史にその功績と名前が残っていないのは残念ですので、私はあえて掲載します。
今こそ、正しい歴史を伝えるべきです。


盟友の鎌倉8団坂本氏からいただいた資料です。

昭和26年(1951年)のソルトレーク市の「BS桜樹基金」の時、その募金の相手が戦時中、自分が捕虜になった時に世話になった村山有氏と知った同市在住のM・L・ストリーター氏は、息子と一緒にグレートソルトレーク連盟を訪れ、「ウエーク島の飛行場建設中、戦争がはじまり日本に連行されたが、米国のボーイスカウト出身の村山有氏に助けられた。病気やケガで苦しんでいる時、薬や傷の手当てをしてもらったので、ソルトレークにもどり、家族と幸せに暮らすことが出来た。その村山有氏がボーイスカウトの再建で苦労しているので協力して欲しい」との大戦中の話をその場にいた人々にした。
ストリーダー氏は、昭和16年(1941年)12月の日米開戦時、軍属として「ウィーク島」で飛行場建設をしていた時にヘンショー少尉ち一緒に捕虜になって、市ヶ谷の文化キャンプに収容されていた。
村山有氏は松井翆声氏と共に、憲兵隊にジュネーブ条約を守るように申し入れたり、栄養失調や病気に悩む捕虜の支援を行なっていた。

ストリーク氏の話は、昭和27年(1952年)4月、シカゴ第7地区総会時、米国連盟シャーク総主事により、「ウエーク島で傷を負った米国兵が米国でスカウト教育を受けた日本兵に助けてもらった。そのとき『自分もスカウトで同じスカウトを殺せない』という崇高な行為があった」と紹介され、この話は(無名の戦士の話・Unknown Soldier)として全米に広まった。
その後、シャーク総主事は、三島総長にその人物を探して欲しいと言った。
三島総長は村山有氏にその話をして調査以来をした。
村山有氏は、昭和29年(1954年)6月上旬渡米の際、ソルトレーク市に寄り、グレートソルトレーク連盟に、日本兵に助けられてと連絡してきた親子連れの事を尋ねた。
その後、8月中旬、グレートソルトレーク連盟より、募金協力者のストレーター氏が「日本のBSA出身者に助けられた当人だった」と連絡が入り、自分が文化キャンプで助けたストレーター氏だったので驚いた。
村山有氏は「一方が困った時に、他方が助けた」という【時と場所を越えた二人の奇縁】に驚き、三島総長には、「善行を行なった者は、自分から言いふらしたりするものではない」という考えで。このまま無名のスカウト戦士の話にしておくことにした。
ソルトレーク市の市民は、その人が村山有氏で認知していた。

また、セントルイスの新聞に「戦時中、米国生まれで、BSA出身の日本人が、東京の捕虜収容所で米人将校を世話をし、『命の恩人』として感謝されている」という話題を大きく掲載した。
それは、コレヒドルで捕虜になったセントルイス出身のE・カリフレイシュ大尉が文化キャンプで大病になった時、米国生れの村山有氏が医師や薬品を手配して助けたことを扱った記事であった。
大尉は帰国後、村山有氏に米国に来るように再三手紙をよこした。戦後、村山有氏はBSAの指導者講習会の招かれ、渡米した際にカリフレイシュ大尉と再会した。
地元のセントルイス・ポスト・ディスパッチ紙は、「命の恩人来る」、「こんな立派な日本人がいる」と写真入りで大きく扱い、「村山有氏がスカウト精神を発揮したのだ」と結んでいる。昭和29年(1954年)8月、日本の全国紙にも、このセントルイスでの記事が掲載されている。

アイゼンハワー大統領は、昭和31年(1956年)9月、「戦争中であっても、米国でスカウト教育を受けた日本兵が市民レベルの個人として崇高な行為を行なった。国の外交だけが重要ではない。世界平和と相互理解増進の為に、『人と人の連携』市民による親善活動の姉妹都市提携が重要だ」と提唱する。(姉妹都市提携については後日掲載)

昭和32年(1957年)のボーイスカウト運動50周年記念事業として、この「ウエーク島」のエピソードをイメージして「無名スカウト戦士」の像を制作する事を三島総長がきめ、知人の彫刻家・横江嘉純氏に依頼し日本連盟に飾った。
現在、石膏の型は那須野営場、彫刻は神奈川県横浜市の「子どもの国」に設置されている。

画像

「無名戦士の像」。弾薬庫の入り口を塞いでレリーフとともに建てられている。

画像

南洋の戦場で、傷を負い動けない米兵に日本兵が近寄ってとどめを刺そうとしたその時、米兵はボーイスカウトの「三指の礼」を無意識に取った。するとその日本兵もボーイスカウト出身で、同じく「三指の礼」で返し、この米兵の傷の手当てをして去っていった、という実話をレリーフにしたもの。(事実を知らない市民や関係者はこれが事実だと誤解する)


村山有氏の功績は「人道支援」です。
当時の状況を考えると、ジュネーブ協定を憲兵隊に進言するのは、売国奴扱いされることもあったと思います。
「鬼畜米兵をなぜ助ける!」などと言う世論もあったと思います。
国際感覚に欠如する日本人は今も昔も変わりません。
アイデンティテーがないところに、国際感覚は生まれません。
日系アメリカ人として育った村山有氏であったからこそ、物をことをはっきり言えたのかもしれません。

同じ時代に国際スカウト連盟のスカウト(日本在住の外国人)を箱根山中に隔離した歴史も日本人は知りません。
そのころを生きた方々も少なくなっています。
正しい歴史観をもつことは大切です。

NGO活動などがやっと少し理解できるようになった日本。
無名スカウト戦士像をそんな歴史をしないで見ると「戦争を肯定しているのか」とか「少年兵養成なのか」などと誤解を受けることがあります。
今こそ、正しい事実を公表すべきです。
そのままの話の方がもっともっと素晴らしいです。
この人道支援活動を考えると「村山有章」を制定した方がスカウティングのモチベーションは高まりますね。
捏造された話の像には無理がありますし、スカウターのみなさんも説明できませんので・・。

にほんブログ村 ライフスタイルブログへ

にほんブログ村 ライフスタイルブログ 生き方へ

にほんブログ村 アウトドアブログへ

にほんブログ村 アウトドアブログ ボーイスカウトへ

ブログランキング・にほんブログ村へ

http://ping.blogmura.com/xmlrpc/fdaprxqcbj24



この記事へのコメント

oldscout
2008年12月30日 14:03
この無名スカウト戦士の話をスカウターのみなさんはどう理解し、解釈しますか?
私はこの当時の時代背景を考えるとこの表現だったこと。
村山有氏が「当然のことをしたのだ」とその行為を誇らない考えがあったことを理解する必要があります。
時代が流れ、正しく村山有氏を評価するべきではないかと考えています。
戦時下にありながら、人道主義を貫いた、樋口季一郎少将-6千人のユダヤ人を救ってイスラエル政府から「諸国民の中の正義の人賞」を授けられたこと。
外交官・杉原千畝氏、多くのユダヤ人の命を救った人物などのこともスカウトに伝えるべき話ではないでしょうか。
戦争は国民に至るまで敵対国に対して残酷なまでの感情をいだかせるものだと思います。だからこそ「正しい道」を考えることができる人材育成することの使命がスカウティングだと考えます。
「戦争と平和」というテーマでスカウトと語るときは、「戦争に戦勝国も敗戦国も正義がないこと」や「政治やイデオロギーと人道主義は別」であることを自分の言葉で伝えることは大切です。

この記事へのトラックバック

  • 姉妹都市提携(Peopele-to-Peopele Program) 村山有

    Excerpt: 村山有氏は昭和22年(1947年)上野動物園の古賀忠道園長からソルトレーク市のホールグ動物園との動物交換を頼まれ実現したことがある。 この交換は、最初は金魚や亀から初め、後にライオン、ピュー.. Weblog: オールドスカウトの話 racked: 2008-10-22 00:03
  • 海軍特別年少兵(戦争と平和について)

    Excerpt: 海軍特別年少兵をご存知でしょうか? このことを書くのに躊躇して1ヶ月以上かかりました。 文章表現次第で誤解が生じてくるからです。 Weblog: オールドスカウトの話 racked: 2008-11-30 11:54
  • 村山有 ボーイスカウト東京七〇隊と海洋少年団(シースカウトのかかわり)

    Excerpt: 東京七〇隊は、村山有氏が育成会代表として結成された。 隊のネッカチーフの色は「赤」に決め、「菊水のマーク」を入れた。 少年隊の班は、菊水班、山桜班、鳳凰班、白龍班という特徴のある班名が.. Weblog: オールドスカウトの話 racked: 2008-11-30 14:59
  • 村山有 日大ローバーのルーツと「新プロジェクト」結成のちかい

    Excerpt: 今日は日大ローバーのルーツの話です。 戦後、ボーイスカウト再建には指導者の養成が不可欠であるとして、三島通陽総長、内田二郎氏、村山有等でスカウトクラブを始めた。  GHQの関東民政部教育官.. Weblog: オールドスカウトの話 racked: 2008-12-02 11:54
  • 戦争と平和

    Excerpt: 第14回日本ジャンボリーが開催されている時に、WOSM(世界スカウト機構)のウェブサイトには以下のようなニュースも掲載されました。 クルー諸君にはこのことを深く考えて欲しい! Weblog: オールドスカウトの話 racked: 2008-12-02 22:06
  • 戦時下のスカウティング 戦争と平和について

    Excerpt: 写真は第二次大戦中のアメリカのマンザナール日系人強制収容所内で行われた、収容者のボーイスカウトによるメモリアルデーのパレードです。 「アメリカ化」への思想教育の一環としてボーイスカウトが組織.. Weblog: オールドスカウトの話 racked: 2008-12-04 09:06
  • 「ちかい」と「おきて」 ユ二フォーム着用・三指の敬礼の許可

    Excerpt: 「当時の日本連盟規約等に対して心ない批判をする人々には当時の三島総長を始めとしての苦心は永久に判らないだろう」と村山有氏は伝える。 Weblog: オールドスカウトの話 racked: 2008-12-05 16:58
  • 健児歌集 戦前のスカウティング

    Excerpt: 自宅にあるスカウト関係資料の整理をしていると戦前のスカウト歌集「健児歌集」が出てきました。 シニアスカウトの頃にお世話になったスカウターから頂いた物です。 写真は東本願寺教学課発行の「健児歌集.. Weblog: オールドスカウトの話 racked: 2008-12-06 14:00
  • 抗日する中国童子軍の歴史 戦争と平和

    Excerpt: この写真は抗日戦争勝利を祝って街頭に繰り出した中国童子軍です。 戦争と平和というテーマで戦前・戦時中・戦後のスカウティングを考えると日本人としてショックな話もあります。 私は戦争は戦勝国が正義.. Weblog: オールドスカウトの話 racked: 2008-12-07 12:49
  • CS隊集会 20090125

    Excerpt: 横浜市にあるこどもの国で、アイススケートにチャレンジ。 無名のスカウト戦士の像も見学しました。 なぜ彼は負傷したアメリカ兵を助けたのでしょうか。 Saitama Scout Council,.. Weblog: ボーイスカウト東京世田谷第3団 racked: 2009-01-25 18:46