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yahooの画像検索で「昭和の文化」を調べていると1枚の写真に出会いました。 昭和34年の発隊の野田1団の写真です。 私が生まれた年代ですので、なぜか親しみを感じます。 この写真の帽子ですが、私も持っています。 1つは戦後まもなくのもの、もう1つは昭和34年製のものです。 実は戦前からスカウティングの家ですので、私で3代目なんです。 私が生まれたのを記念してでしょうか・・約束してなのでしょうか。 私のスカウトの帽子が未使用のまま、残っているわけです。 スカウトミュージアムが創設されたら寄付したいと思ってます。 スカウトクラブの先輩スカウターがら昭和39年東京オリンピック国旗掲揚の訓練マニュアルを見せてもらったことがあります。当時の参加スカウトの氏名も残っていました。 こうした資料も、貴重な資料ですので保存しないと無くなってしまうでしょうね。 そのうち紹介しますが、戦前には各種の少年団ができました。 スカウティングの原理・原則を理解できているもの、いないものもあったようです。 静岡県はスカウト発祥の地と言われています。 いや!京都だ。いやいや!東京だ!と諸説ありますが、日本で正式にBPから認定されたのは、国際スカウト隊です。日本連盟ができたのはその5年後ですから、その当時は、勝手連的に少年団ができたのでしょうね。 静岡県沼津市にも「岳陽少年団」がありました。 創設から30年歴史がありますが、その後、大日本少年団連盟に編入したかは定かでありません。 この本は、岳陽少年団を記録した本です。所有していたのですが、お貸ししたまま、今はありません。 残っているのは当時の写真が3枚だけです。 岳陽少年団は沼津の小学校を中心に5000人の団員がいたようです。 本を読んだ記憶消えつつありますが、級長(学級委員長)や優秀な児童でないと入団できなかったようです。 イギリスのスカウト運動については、研究されていたようですが、現代スカウティングとは少し違ったものだったと思います。岳陽少年団に限らず、そうした少年団は多数あったと思います。 そういえば、小学校のクラスの中の班、地域の子ども会や青年団組織もスカウティングから影響を受けていると言われています。 http://ping.blogmura.com/xmlrpc/jhwv9gx47nt3 |
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「ちかい」と「おきて」 ユ二フォーム着用・三指の敬礼の許可
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オールドスカウトの話 2008/12/05 16:58 |
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